プロフィール

鶴折りびと治子 ( 福田治子 )

大阪府池田市出身。長崎県長崎市在住。

2007年佐世保のヨガ教室で初めて陶磁器の折り鶴と出会い、その繊細な手触りと折り鶴の造形美の魅力に感動する。陶紙で折り鶴を折るたびに、また私の作品を手にとってもらうたびに、折り鶴の人の心を揺さぶる不思議な造形美に夢中になり、折り鶴を通して人と繋がっていくことをライフワークとしている。


インタビュー

陶磁器の折り鶴アーティスト、「鶴折りびと 福田治子」さんに、作り始めたきっかけ、制作への想いなどについて聞きました。(取材・文=川嵜昌子)


陶磁器の鶴を「折る」


―― 陶磁器の鶴を「折る」というのは、どういうことですか?

粘土と和紙でできた「陶紙」というのがあって、紙の鶴と同じように折って焼き上げると、陶磁器の鶴ができ上がります。ですから、実際に鶴を折っているのです。


―― どういうきっかけで、陶磁器の鶴を折るようになったのですか?

2007年に、通っていた佐世保のヨガ教室で、陶磁器の白い鶴が置いてあるのを見て、手に取ったら、「これすごい」と、感動して、涙が止まらなくなりました。


そのときは、子育て中の専業主婦で、「子どものために何ができるか?」ということから、食に興味はあったのですが、とくに深く考えていたわけではありません。けれども、その鶴に触れて、ある想いが浮かんできたのです。


―― どんな想いですか?

この鶴を見た人は、国籍を問わず、私たち人間は、平和な世の中を求めていること、平和な世界を作りたかったことを思いだすのではないかと。この鶴は、世の中を平和にするきっかけになると。


私は、「子どものために、大人は何ができるか」、というのはずっと考えていたのですが、平和活動をしていたわけでもなく、普通のお母さんだったので、漠然とそう想っただけなのですが。

不思議な魅力から鶴ばかり作る


―― それからどうしたのですか?

ヨガ教室には、週に2、3回通っていたのですが、行くたびに、その陶磁器の鶴に触れて、造形美と繊細さ、そして、平和な気持ちを呼び覚ます、不思議な魅力に感動していました。


その鶴は、ヨガの先生の知人の、そのまた知人の会社で作っていて、鶴にかぎらず作品の作り方を学んで作る人を募集していたので、「興味があるのなら、行けばいい」と言われたのですが、習いに行く気はありませんでした。


当時、食、マクロビオティックに興味があったのですが、それ以外に、いろいろ興味があるからと手を出していては収集がつかないと思ったのです。

けれども、習いに行きたいという人がいて、一緒にふらっと行くことになりました。


―― そして、陶磁器の鶴を作るようになったのですね。

はい、その会社では、鶴以外のものも作るように、ということだったのですが、私は鶴にしか興味がなかったので、鶴ばかり折っていました。


そして、「陶磁器の鶴を折ることが私の仕事になったら幸せだなぁ」と思いましたが、まさかそんなことができるとは、思ってもみませんでした。


平和のためと言うことに抵抗があった


―― それでも作品を作り続け、海外の人に寄贈もしているのは?

折り鶴は「平和」というイメージが強く、私自身、平和な気持ちになることから、陶磁器の鶴に興味をもったのですが、それでも最初、「平和のために鶴を折っている」と言うことに抵抗がありました。


私は大阪出身で、結婚をきっかけに佐世保市に来て、その後、長崎市に引っ越したのですが、長崎出身で平和活動を行なっている方などと比べて、私なんかが平和を語るのは、恐れ多いと思っていたのです。


しかし、その後、被爆者の方のお話を聞いて、平和について考え続けることが身近になりました。お話は、一人の女性の不安、母親の葛藤で、いままで遠くにあった長崎、広島の話が、身近になりました。そして、私も平和の話をしてもいいのだと腑に落ちました。


さらに、被爆者の方から「あなたたちはバトンを受け取ったのですよ」と言われ、私も、私なりの平和への想いを形にすること、陶磁器の鶴を折ることを、続けていきたいと思ったのです。


そして、個人的にご縁のある方を中心に、私の作品を寄贈してきました。受け取った方の平和への気持ちを呼び覚ます、強めるといいな、次の世代のために、平和な世の中であったらいいなと、そう思っています。


―― 今後は?

私は、ライフワークとして、陶磁器の鶴を折っていきたい、そして、折り鶴を通して、多くの人と繋がりたいと思っています。

私の作品が、平和な世の中を作ることに、なんらかの形で繋がっていくと嬉しいです。